『新しい年を迎えたら、ひとりひとつ新しい本を読む』
妻には昔からそういった習慣があったらしく、
今も尚それを引き継いでいる。
今年も無事に新年を迎えられたので、
休みの日に、その読むべく本を探しに行った。
この習慣において、あまり詳しくは知らされていないが、
もともといくつかのルールがあるらしい。
ただ、ルールというのは、
えてして時代にあわせて徐々に変わっていくもので、
この“新年本読み習慣”もその例外ではない。
『本来は“読む本”でなければならないが、
どうしてもの時は、字のない本でもよいこととする』
という改定が去年なされ、
今年もまた新たに、
『本来は新品の本であることが望ましいが、
やむを得ない場合に限り、中古の本でもよいこととする』
というルールを、
ブックオフの前で可決した。
そして、妻は、江國香織の『左岸(上)』を、
僕は、アガサ・クリスティーの『パディントン発4時50分』を、
それぞれ「やむを得ず中古で」買った。
*
江國香織とアガサ・クリスティーは、
我が家における二大作家で、
所蔵する文庫本のほとんどは、この二人の著書である。
特に江國香織の本に関しては付き合いが長く、大学のころから読み続けている。
この人の、至極何でもないような日常を、
最も簡単で、且つ実に正しく、
その場の空気ごと表すような言葉の選び方は、
今でも気づく度に感嘆のため息がこぼれる―があまり気づけない―。
*
かつて本を読むことは逃避だった。
すべきことを、せねばならぬことを、せざるを得ないことを、
繰り返しながら過ごしていたころ、
逃避もその1ターンの中に含まれていた。
本を読むこと、読む時間を欲し、必要迫られて本を読んだ。
主に先手を打つ、まずはやりたいことをやる、という今の生き方に、
だから逃避はあまり必要なくなった。
追われなければ、当然逃げることもない。
*
この新しい本は、
自分の力でつくった、時間と気持ちの余裕のあかつきに、
今の暮らしに合った方法で、
のんびり読みたいと思っている。
par s.yoshitomo