2014-04-20

洗いもの物語

飲食店で働いている者としてあるまじきことであるとは思うのだけれど、
僕は洗いものが嫌いだ、
と洗いものを30分以上続けていると毎回思う。
多種多様の食器でいっぱいになったシンク、
それでも収まり切らず調理台の上にぎっしりおかれたグラスや器具、
それらを少しでも洗えば、
どこからともなくすかさずに追加されてくる湯のみや急須等々…。
洗えば洗うだけ、確実に減っているはずなのに、
まったくそれを感じさせず、
それどころか逆に増えているようにさえ錯覚させられてしまう、
魔性の洗いものたち。
考えただけでげんなりしてしまう。

 *

少量の洗いものなら話は別で、それならば寧ろ好きなくらいだ。
なぜならそれは、“すぐに”、“完璧に”終わるから。
10分もあれば、
洗うべきものを集めて洗い上げ、拭いたのちに、
あるべきものをあるべき場所へ、整然と収めることができる。

自分のことを完璧主義者であると思うことには、
あまり気が進まないが、
長年の自身の傾向から、
そういう部分がおおいにあることは認めざるを得ない。
そんな自称准完璧主義者であるが故に、
世の中には完璧なものなどほぼない、ということを、
重々承知している。
そして、にもかかわらず、
完璧というものに常に焦がれ、欲する。
そこへきて、少量の洗いものは、
すぐに、何度でも、小さな完璧をもたらしてくれる、
この上ない作業なのだ。

 *

そしてだからこそ、
そんな完璧を与えてくれるはずの洗いものが、
まるで永遠に終わらないようにさえ感じさせる長時間のそれは、
どうしたって耐えがたい。
裏切られたかのような、
こんなはずではないのだ、という思いがつのる。

嫌いだけど好き、好きだけど嫌い。
そんな恋人への想いのようなジレンマが、
洗いものにはついてまわっている。

(というとなんだか聞こえがよいので、
 もう一度言っておくと、
 僕は洗いものが嫌いです。)

  par  s.yoshitomo