2012-06-26

杜のふう

家から車で1時間くらいのところに、ちょっといいレストランがある。
浜名湖の畔の小高い丘に建つ、古民家風な造りの一軒家で、
和風フレンチという種類のコース料理を出してくれる。

板の間の店内は、ゆったりとしたテーブル配置で、天井も高く、
広々開放的で、座っているだけでも気持ちがよい。
窓から見える庭には、野うさぎが姿を見せることもあるらしい。
(残念ながら見たことはないが、代わりに美しい尻尾をもったトカゲを見た)

 *

席より庭の臨む
初めてそのレストランへ行ったのは、一年ほど前で、
お店の前庭から臨む湖面が青く輝く、
清々しい皐月の昼だった。
それから後に、冬の夜にも一度行ったことがあり、
それはそれで落ち着いたぬくもりのある、
素晴らしい雰囲気であったけれど、
やはりあのレストランには、
よく晴れた初夏が一番似合うと勝手に思っている。

『杜のふう』というのがそのレストランの名で、
我が家においてその『杜のふう』という言葉は、
もはや、贅沢と優雅と非日常の代名詞とまでなっている。
その名を口にしただけでうっとりしてしまうほど、
僕と妻はこのレストランを敬愛してやまない。  
ある日の前菜3種

 
 *

非日常。
趣味も、仕事も、すべて生活にひっくるめて、
丸ごと日常として生きている僕にとって、
非日常はだからよりいっそう特別だ。
それゆえ、非日常には、
きちんと非日常であって頂きたいし、
無論一瞬たりとも、日常など垣間見せないで欲しい。

杜のふうは、その辺りが如才なく計算されているように思う。
非日常へのいざないとも言うべき、駐車場からお店へのアプローチ
(木々の間を緩やかに登る小道とその後開ける視界)に然り、
絶妙なバランスで供される料理の順番
(一品食べ終わる毎に、今まさに欲しているものが次に出てくる)に然り、
そして、そういったことを主張しない謙虚さに然り。

 *

このレストランは、きっと何度行っても、
そのたび、非日常となる場所に違いないと信じていながらも、
あまり頻繁に行き過ぎたら、
もしかして日常に感じてしまうかもしれない、
という懸念からか、
実のところまだ数えるほどしか行ったことがない。

その事実に気づくと、
なんだか負けているような気になって少し考えてみる。
そもそも非日常よりも日常を重視した生き方をしているのだから、
恐るるに足らず。
日常にこそ特別は必要なのだから、
それが日常になろうとも、いっこうに構わないではないか!

しかしまあ、強がってみるものの、やはりあまり効果はないようだ。
守りに入っているなぁ。


  par  s.yoshitomo

2012-06-14

少し前まで、私のクローゼットは、
黒・白・カーキ・グレーといった色たちが、幅を利かせていました。
買い物で、いいなぁと思って手に取った服を見ていると、
「それ、持ってる…」と夫の一言。
「……」うーん、たしかに言われてみれば。
でも悔しいから
「丈がちょっと違うの」と、もっともらしい反論。

そんな私がここ最近、明るい色が気になって仕方がない。
とうとう真っ赤なカーデガンを買いました。
きれいなブルーのスカートを縫いました。
次は、レモンとライムを足した色のカーデガンが欲しい。
などなど、色への欲求が止まらないんです。

インテリアも例外ではなく、つい最近赤いラグを買いました。
部屋の模様替えをするたびに、ペンキの色が増えていく…。
今は洗面所&トイレの改装中です。
ここは大人っぽい色にする予定です。
完成したら報告します。

  par  s.yumi

2012-06-04

ヴィシソワーズ

夏はいつも唐突にやってくる。
外気がやや湿っぽくなり、
暖かいと暑いのちょうど中間くらいの温度の気だるい空気が、
土埃や雑草の匂いを帯び始める。
建物の中にも、
まだ使い始めたばかりのエアコンに匂いが満ち、
それによってよく乾かされた空気の、
肌に触れる感覚が心地よい。

“そうだ! ヴィシソワーズを作ろう”
“今こそあの冷製スープを飲むときだ”
そう思うのもやはり夏がやってきた、まさにその瞬間。
もしかしたら、
ヴィシソワーズを作ろうと思った瞬間の方が少し先で、
そう思うことで夏の到来に気づいたのかもしれないけれど、
そのへんはいつも曖昧だ。
だって、唐突だし、瞬間は一瞬だから。


ヴィシソワーズ
みょうが・かいわれ・山椒風味
 *

ヴィシソワーズは、ジャガイモを始め、
至極身近な材料ばかりでできているのに、
ひとくちひとくち、贅沢な味がする。
こっくりとした舌触り。
なのに、さらりと喉を滑り降りる潔さったらない。

際立って主張する鋭い強さも、華やかさもないけれど、
全身を満たして尚余りある、呆れるほどの奥ゆかしさが、
ヴィシソワーズには確かにあると思う。

 *

スープは、食べ物だけど飲み物でもある。
そして、飲み物には食べ物とは違う何かがある気がしてならない。

美味しい食べ物を食べている時が本当に一番幸せだ、と、
美味しい食べ物を食べている時にはいつも心底思ってしまうし、
それは確かに間違いない事実だ、と、
食べていない時も思うのだけど、
かといって、それに勝るとも劣らない、
心地よい音楽とともに、食後のコーヒーを飲む幸福感や、
夏の広い公園で昼っぱらから飲む、よく冷えた白ワインの贅沢感は、
食べ物に与えられるそれとは、明らかに別物だ。
あの底抜けの甘やかしは、液体にしか成し得ない(はず)。

だから、食べ物なのに飲み物であるスープは、
その両方を兼ね備えている(場合もあるし両方備えていない場合もある)
特殊な料理なのだと思う。

 *

僕の個人的なこよみでは、
夏の次に来る季節は、真夏。
これまでの経験上、
真夏が来るとヴィシソワーズは御役御免になるので、
それまでに、もっと自分の好みの味になるよう、
レシピを改良したいと考えている。
今年のレシピが完成するまでは、
去年のレシピ
(オーソゾックスなスープに、みょうがなどの薬味を乗せ、山椒をふる)
で作ったものをしばらくの間ランチで提供します。

  par  s.yoshitomo