浜名湖の畔の小高い丘に建つ、古民家風な造りの一軒家で、
和風フレンチという種類のコース料理を出してくれる。
板の間の店内は、ゆったりとしたテーブル配置で、天井も高く、
広々開放的で、座っているだけでも気持ちがよい。
窓から見える庭には、野うさぎが姿を見せることもあるらしい。
(残念ながら見たことはないが、代わりに美しい尻尾をもったトカゲを見た)
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席より庭の臨む
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初めてそのレストランへ行ったのは、一年ほど前で、
お店の前庭から臨む湖面が青く輝く、
お店の前庭から臨む湖面が青く輝く、
清々しい皐月の昼だった。
それから後に、冬の夜にも一度行ったことがあり、
それはそれで落ち着いたぬくもりのある、
それから後に、冬の夜にも一度行ったことがあり、
それはそれで落ち着いたぬくもりのある、
素晴らしい雰囲気であったけれど、
やはりあのレストランには、
よく晴れた初夏が一番似合うと勝手に思っている。
やはりあのレストランには、
よく晴れた初夏が一番似合うと勝手に思っている。
『杜のふう』というのがそのレストランの名で、
我が家においてその『杜のふう』という言葉は、
もはや、贅沢と優雅と非日常の代名詞とまでなっている。
その名を口にしただけでうっとりしてしまうほど、
僕と妻はこのレストランを敬愛してやまない。
我が家においてその『杜のふう』という言葉は、
もはや、贅沢と優雅と非日常の代名詞とまでなっている。
その名を口にしただけでうっとりしてしまうほど、
僕と妻はこのレストランを敬愛してやまない。
ある日の前菜3種 |
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非日常。
趣味も、仕事も、すべて生活にひっくるめて、
丸ごと日常として生きている僕にとって、
非日常はだからよりいっそう特別だ。
それゆえ、非日常には、
きちんと非日常であって頂きたいし、
無論一瞬たりとも、日常など垣間見せないで欲しい。
無論一瞬たりとも、日常など垣間見せないで欲しい。
杜のふうは、その辺りが如才なく計算されているように思う。
非日常へのいざないとも言うべき、駐車場からお店へのアプローチ
(木々の間を緩やかに登る小道とその後開ける視界)に然り、
絶妙なバランスで供される料理の順番
(一品食べ終わる毎に、今まさに欲しているものが次に出てくる)に然り、
そして、そういったことを主張しない謙虚さに然り。
非日常へのいざないとも言うべき、駐車場からお店へのアプローチ
(木々の間を緩やかに登る小道とその後開ける視界)に然り、
絶妙なバランスで供される料理の順番
(一品食べ終わる毎に、今まさに欲しているものが次に出てくる)に然り、
そして、そういったことを主張しない謙虚さに然り。
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このレストランは、きっと何度行っても、
そのたび、非日常となる場所に違いないと信じていながらも、
あまり頻繁に行き過ぎたら、
もしかして日常に感じてしまうかもしれない、
という懸念からか、
実のところまだ数えるほどしか行ったことがない。
その事実に気づくと、
なんだか負けているような気になって少し考えてみる。
そもそも非日常よりも日常を重視した生き方をしているのだから、
恐るるに足らず。
日常にこそ特別は必要なのだから、
それが日常になろうとも、いっこうに構わないではないか!
しかしまあ、強がってみるものの、やはりあまり効果はないようだ。
守りに入っているなぁ。
par s.yoshitomo