外気がやや湿っぽくなり、
暖かいと暑いのちょうど中間くらいの温度の気だるい空気が、
土埃や雑草の匂いを帯び始める。
建物の中にも、
まだ使い始めたばかりのエアコンに匂いが満ち、
それによってよく乾かされた空気の、
肌に触れる感覚が心地よい。
“そうだ! ヴィシソワーズを作ろう”
“今こそあの冷製スープを飲むときだ”
そう思うのもやはり夏がやってきた、まさにその瞬間。
もしかしたら、
ヴィシソワーズを作ろうと思った瞬間の方が少し先で、
そう思うことで夏の到来に気づいたのかもしれないけれど、
そのへんはいつも曖昧だ。
だって、唐突だし、瞬間は一瞬だから。
ヴィシソワーズ みょうが・かいわれ・山椒風味 |
至極身近な材料ばかりでできているのに、
ひとくちひとくち、贅沢な味がする。
こっくりとした舌触り。
なのに、さらりと喉を滑り降りる潔さったらない。
際立って主張する鋭い強さも、華やかさもないけれど、
全身を満たして尚余りある、呆れるほどの奥ゆかしさが、
ヴィシソワーズには確かにあると思う。
*
スープは、食べ物だけど飲み物でもある。
そして、飲み物には食べ物とは違う何かがある気がしてならない。
美味しい食べ物を食べている時が本当に一番幸せだ、と、
美味しい食べ物を食べている時にはいつも心底思ってしまうし、
それは確かに間違いない事実だ、と、
食べていない時も思うのだけど、
かといって、それに勝るとも劣らない、
心地よい音楽とともに、食後のコーヒーを飲む幸福感や、
夏の広い公園で昼っぱらから飲む、よく冷えた白ワインの贅沢感は、
食べ物に与えられるそれとは、明らかに別物だ。
あの底抜けの甘やかしは、液体にしか成し得ない(はず)。
だから、食べ物なのに飲み物であるスープは、
その両方を兼ね備えている(場合もあるし両方備えていない場合もある)
特殊な料理なのだと思う。
*
僕の個人的なこよみでは、
夏の次に来る季節は、真夏。
これまでの経験上、
真夏が来るとヴィシソワーズは御役御免になるので、
それまでに、もっと自分の好みの味になるよう、
レシピを改良したいと考えている。
今年のレシピが完成するまでは、
去年のレシピ
(オーソゾックスなスープに、みょうがなどの薬味を乗せ、山椒をふる)
で作ったものをしばらくの間ランチで提供します。
par s.yoshitomo